みさなま、ご機嫌いかがでしょうか。
やりました、大台です。第20弾!!になります。😤
今回は「Joy Division」の「Love Will Tear Us Apart」です。
これまでに紹介してきた「Siouxsie and the Banshees」から少なからず影響を受けたバンドです。
ボーカルの「イアン・カーティス」の自殺という悲劇があり活動期間は4年間と短く、リリースしたオリジナル・アルバムも2枚のみなのですが、「Post Punk」シーンに与えた影響は大きく、2000年になってからも数枚のコンピレーション・アルバムがリリースされるなどいまだに音楽シーンに影響を与えているバンドですね。
ジャケット
イギリス版のシングルジャケットです。
左が7インチ・シングル、右が12インチ・シングルのジャケットです。
どちらもシンプルなのですがデザイン性が高くインパクトあるよね!
12インチ・シングルの写真は 1978 年にベルナール・ピエール・ヴォルフによって撮影されたもので、ジェノヴァのスタリエノ記念墓地にあるリバウド家の墓の上で悲しむ天使の彫刻の写真だす。
写真のイメージが曲のタイトルや内容をより深く想像させてくれます!
かっこいいジャケットです!!
曲の紹介
Joy Divisionってどんなグループ?
「ジョイ・ディヴィジョン」は1976年にイアン・カーティス(ボーカル)、バーナード・アルブレヒト(ギター、シンセサイザー)、ピーター・フック(ベース)、スティーヴン・モリス(ドラム)の四人で結成したバンドです。
幼なじみだったバーナードとビーターは一緒に行ったわけではないんだけど、1976年の「Sex Pistols」のライブを見て衝撃を受けてバンドを作ろう!ってなったのがきっかけだったそう。
バーナードはその時に「ミュージシャンはファンから崇拝されなければならないといったポップスターであることの神話をぶち壊した」と感じたそうです。
Sumner said that he felt the Pistols “destroyed the myth of being a pop star, of a musician being some kind of god that you had to worship”.
Savage, Jon (July 1994). “Joy Division: Someone Take These Dreams Away”. Mojo.
確かにこれまでのプロのミュージシャンがちゃんと演奏して歌うってのと比べると当時のパンク・ムーブメントから出てきたバンドはかなり衝撃的だったんでしょうね。演奏はそっちのけで暴れたり、観客煽ったり。
でも当時の抑圧された労働階級という時代背景があって、音楽がその鬱憤をはらせられる一つのはけ口だったのも確かなんだろな…きっと。
一緒にギグに参加していた「テリー・メイソン」をドラマー、同級生の「マーティン・グレス」をボーカルとして活動していましたが、マーティンは就職のためボーカルを断ったので「ヴァージン・レコード」のショップにボーカリスト募集の広告を出したんだそう。
そう、みなさんお気づきですね。
ここでボーカルとして「イアン・カーティス」が入ってくるわけです。
彼らのギグを見てお互いを知っていた「イアン・カーティス」が連絡し、オーディションなしで採用となったそうですよ。
バンド結成当初は「バズコックス」のマネージャとボーカルからは「スティッフ・キトゥンズ」を提案されたようですが、バンドはすぐに最初のギグの前には「デビッド・ボウイ」の曲からとった「ワルシャワ」に変更しています。
で、1977年5月29日にデビューとなったわけですな。
最初のギグの2日前にバンドに参加した「トニー・タバック」がドラムとして演奏しています。「メイソン」どこ行った?😮
イギリスの音楽雑誌「NME(New Music Express)」で高評価を得た彼らはすぐに全国区のバンドになりました。
そこで「メイソン」をバンドのマネージャ、1977年6月には「トニー・タバック」をクビ?にして「スティーブ・ブラザーデール」をドラムとして加入させています。
だがしかーし、この「スティーブ・ブラザーデール」というやつ、かなりの曲者だったらしく「イアン」を辞めさせて別のバンドに入れようと画策するなど問題児だったよう。
いくつかのセッションを行った後、クビにしたようです。
スタジオから帰る途中でタイヤがパンクしたってことでブラザーデールに見させようとしている隙に置き去りにして走り去ったんだそうな。
そんな子供みたいなんでクビにできるんかいな🤣🤣🤣
Uneasy with Brotherdale’s aggressive personality, the band fired him soon after the sessions. Driving home from the studio, they pulled over and asked Brotherdale to check on a flat tyre; when he got out of the car, they drove off.
Touching from a Distance: Ian Curtis and Joy Division.
いくつかのすったもんだがありましたが、1977年8月にショップに広告をだして、イアンと同じ学校に通っていた「スティーブ・モリス」がドラマーとして参加することになりました。
はい~、これでようやく「ジョイ・ディヴィジョン」の創設メンバが揃ったわけだす。
でも、ロンドンに「Warsaw Pakt」というパンク・バンドがあり、混乱を避けるためバンド名を1978年に「ジョイ・ディヴィジョン」と改名したんだそう。
実は「ジョイ・ディヴィジョン」というバンド名は1955年の小説「ハウス・オブ・ドール」に出てくるナチス強制収容所の性的奴隷施設から拝借しているものです。
んで、悲劇が起きるわけです。🥹🥹🥹
メンバーのひとりでも欠けたら「ジョイ・ディヴィジョン」としての活動は行わない。
というメンバー間の取り決めを守り、残ったメンバーで「ニュー・オーダー」として再出発していくことになります。
よかったら以下の記事も読んでちょ!
ラブ・ウィル・テア・アス・アパート
さて、話を曲に戻しましょう。
この「ラブ・ウィル・テア・アス・アパート」もまぁ逸話がありますので紹介したいと思います。
- イアンの妻デボラとの関係
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マネージャであった「ロブ・グレットン」にデボラ自身のことについて書かれた歌詞だと聞いて「怒り」と「侮辱」を感じたといってますね。
「ロブ・グレットン(ジョイ・ディヴィジョンとニュー・オーダーのマネージャー)から”ラヴ・ウィル・ティア・アス・アパート”が自分のことだと聞かされた時にわたしはなにを感じたか? 怒りと侮辱だった」と明らかにしている。
イアン・カーティスの妻デボラ、イアンの死後に「怒りと屈辱」を感じたと明かす (2014/10/10) 洋楽ニュース|音楽情報サイトrockinon.com(ロッキング・オン ドットコム)てぃーだ他人からそんな話を聞いたらそりゃ、そうだよな…
😥😥😥 - イアンの愛人の存在
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ベルギーのジャーナリストで音楽プロモーターの「アニク・オノレ」と愛人関係にあったと言われていますが、アニクは「すでにイアンは妻のデボラとの関係は修復できないほど壊れた関係であった」と言ってます。
肉体関係はなく、プラトニックであったとも。People can say whatever they want, but I am the only person to have his letters… One of his letters says that the relationship with his wife Deborah had already finished prior to us meeting each other.
Annik Honoré: Retour sur son Histoire fulgurante avec Ian Curtis of Joy Division] - 70年代のポップスへの皮肉
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曲名の「Love Will Tear Us Apart」は70年代ポップスへの皮肉を込めて「Love Will Keep Us Togather」からパロったんだそうな。
In 1980 Joy Division released “Love Will Tear Us Apart“, the title of which “was intended as an ironic nod to the classic ’70s pop song.
Single Stories: Joy Division, “Love Will Tear Us Apart” | Rhino - イアンがギターを弾く数少ない楽曲
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イアンはギターを弾くのを嫌がったそうですが、バーナードがDメジャーだけ教えて引いてもらったそうなんだす。
なるほどMVではギターのとこで後ろむいちゃうよね。Ian didn’t really want to play guitar, but for some reason we wanted him to play it. I can’t remember the reason now … We showed him how to play D and we wrote a song. I wonder if that’s why we wrote “Love Will Tear Us Apart”, you could drone a D through it. I think he played it live because I was playing keyboards.
Instrument. San Francisco: Chronicle Books.てぃーだなるほどMVではギターのとこで後ろむいちゃうよね。
照れ隠しかな?🤔
あ~んど、左手はずっとコード押してる…😅 - スタジオでのU2ボノとの会話
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U2のボーカル、ボノはジョイ・ディヴィジョンがレコーディングしているときにU2のプロデュースの件で同じスタジオにいたらしいです。そのときのことを「彼は暖かくて優しく話して、でもマイクの前に立つとまるで2つの人格があるかのようにエネルギッシュだった」と言ってます。
alking to Ian Curtis is … or was a strange experience because he’s very warm … he talked—it was like two people inside of him—he talked very light, and he talked very well-mannered, and very polite. But when he got behind the microphone he really surged forth; there was another energy. It seemed like he was just two people and, you know, “Love Will Tear Us Apart”, it was like [when] that record was released … it was like, as if, there were the personalities, separate; there they were, torn apart.
“Bono on Joy Division, 1980, RTE radio, Ireland.”
いろいろな逸話を持っている、いわゆる名曲です。
でもって、いろいろなバンド、アーティストにカバーされていますよ!
いまでも色褪せない存在感のある楽曲です!!
結論:誰よりも愛に絶望し、誰よりも愛を欲して叫んで逝った奴の詩
ではとりあえず聴いてみましょう。
「ジョイ・ディヴィジョン」で「ラブ・ウィル・テア・アス・アパート」です。
ちぇけら!!
さて、いかがでしたか?
MVは彼ら自身で撮影したらしいですよ。
イアンの超低音のヴォーカルがかっこいいですよね。
ニュー・オーダーももちろんそうなのですがピーターのリフを弾くかのようなベースが良いよね。
MVの途中、色が茶色っぽくなるのは彼らなりの演出かと思ってました。
ところがそこはやはり素人なので制作がいまいちだったとのことらしい。
また、MVの録画中に録音されたトラックは貧弱だったためレコード会社がシングルバージョンの録音に吹き替えたそうで、そのため音楽と映像がずれてたりしてるんだす。
1995年のリマスターで直ってるみたいだよ。
ちなみに公式サイトにはリマスター版のMVもありました。
確かに最初のキーボードとかも合ってないよな、って思ってたけど、
もともと音は後付けなので、そんなもんかと(思ってました~)。
ちゃんとしたスタジオっぽくないし、録音してたらノイズとか入りそうだよね?(よくわからんけど…)
「ヌーベル・ヴァーグ」による、ちょっとアンニュイな感じのボサノバちっくのバージョンです。
ちぇけら!!
そのほか、ほんとに沢山のアーティスト、バンドにカバーされています。
以下の記事を参考にしてちょ!(153バージョンもある?!)
以下ページにはハイライトってことで5つバージョンが紹介されています。
そのなかでジョイ・ディヴィジョンが「Peel Session」で演奏するバージョンもかっこいい!
いかがでしたでしょうか、うん、名曲だよね。
ではまた次回会いましょう。
ばいなら、ばいなら、ばいなら。
歌詞、クレジット
歌詞やクレジットなどに関する情報です。
他にもあったほうがいいなって思う情報があれば随時追加していきます。
歌詞
Joy Division – Love Will Tear Us Apart Lyrics | AZLyrics.com
クレジット
Love Will Tear Us Apart
リリース:1980年6月
作詞/作曲:イアン・カーティス、ピーター・フック、スティーブン・モリス、バーナード・サムナー
ボーカル、ギター:イアン・カーティス
ギター、シンセサイザー:バーナード・サムナー
ベース:ピーター・フック
ドラム:スティーブン・モリス
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